ごわみ物語⑫🐰
2023年02月12日
プロデューサーがロスに拠点を移した事により、
自分もロスに長期滞在することになったわけですが、
まあ楽しかったですね。。。
楽しすぎてどんどん色んな意味でアメリカナイズされていきました。


プロデューサーの自宅は、
ハリウッドスター並みの豪邸で部屋もたくさんあるので、
いろんな方々が日々訪れてきました。
自分は引っ越しも手伝いましたし、犬の散歩、
簡単な炊事、掃除なんかもやってました。


自宅⇒スタジオ⇒P宅⇒、
いや、主に、
自宅⇒スタジオ⇒P宅⇒スタジオ⇒P宅⇒日本⇒スタジオ⇒P宅⇒スタジオ、
いつ家帰んの?的な感じでしたね。。。


数ある海外エピソードの中から、
何個かご紹介します。


①生卵事件
出す曲、出す曲売れまくるヒットメーカーですから、
業界のお偉いさんや怖い方々が日本から沢山やってきます。

どう考えてもスタッフ陣で自分が若いのでいろいろと頼まれます。
ある日、お偉いさん達がPに会いにスタジオまで来ました。
でも作業中だったりするとPにはすぐに会えません。
時間も空くし、
お腹がすいたので牛丼でも買ってこいと言われました。
クソめんどくせえなと思いながらも人数分買ってきたんだですが、
お偉いさんの一人が、「たまごねえーよ、たまご普通買ってくんだろ、
わかってねえーな」と言い出して。。。
(アメリカで生卵食べる習慣ないから、そもそもない。。。今はしらん)

当時、業界の上下関係なんて知らんし、誰が偉い人かも知らん、
あと、このチームの音源担当しててかなり調子に乗ってたんで、
「うるせーな、アメリカの吉野家に生卵なんてねーんだよ、必要だったら、
てめえーで買ってこいよ」ってやってしまいました。。。

その瞬間、チームの偉い人に首根っこ掴まれて、
ボコボコに蹴られました。
なぜなら自分が口答えした人って、かなり業界の上の偉い方で、
歯向かう奴なんていないような人だったのです。
でも不思議なもんで、その方にはこの事件をきっかけに、
お前面白い奴だなと気に入られて、お会いする度によくして頂きました。


②感動のラスベガス
とにかく大量のオファーと、迫りくる締め切りに追われ、
本当に24時間体制で働いていたのですが、それは自分以外の方々もそうで、
1枚アルバムが完成すると、何かしらお疲れパーティーが開催されていました。
一度たまたま時間が空いたし、みんなでラスベガスに行こうとなって。

そういう時って、
実は日本からパーティーチーム(P用に女性がたくさんとは言ってない)がくるんですが、その時はラスベガスなのでいつも以上に渡米してくる事になりました。
そこで自分は本体と一緒に行かず、
残って渡米してくる御一行様をリムジンでラスベガスまで連れてくる役になったのです。

夕方からリムジンに乗せて出発したのですが、
とにかく遠くて、周りもだんだん砂漠みたいになってきて気分が沈んでて。
深夜になっても到着せず最悪のメンタルだったんですが、
遠くの方に希望の光が...。
真っ暗闇の中にだんだんとド派手なラスベガスの街が見えてきたのです。
その光景が本当に美しくてめちゃくちゃ感動しました。
今後ラスベガスに行く方、時間に余裕があれば是非お車で行ってみて下さい。


③楽園バリ島
時代のピークを走っている時、
リラックスついでに皆でバリ島に行った時は本当に楽しかったです。
VIPというより国賓待遇??で、飛行機乗る前に何故かパスポート回収されて、
到着したら一般とは別ルートで空港を出て、出たら車とパトカー待機してて、
パトカー先導で家まで行くという経験したことない世界。
ついた家もデカくて、召使いも死ぬほどいて、
原チャリ借りていろんなとこ行って遊びまくりました。
しっかり、あるアーティストのボーカルレコーディングもやったのも思い出です。
あ、バリの思い出はここで書けないことばかりだ.....。
聞きたい人はお店で聞いてみて下さい。
お話出来る範囲でお伝えします。


本当に楽しい出来事ばかりで、
恐らく当時20代前半でこれ経験したの自分だけだったはずです。
日本国内はもちろん、アジアツアーも同伴したし、
イケイケの世界でオラオラして。
経費も使い放題。なんか言われたら「オレらのチームのおかげで儲かってんだろっ」
ってノりでやりたい放題。


でも、盛者必衰の理をあらわす。
ある事がきっかけとなり、Pの勢いも下降線、
自分もアメリカナイズされすぎて事件を起こし、
楽しかった時代も終焉を迎えます。


辛うじてクビにはならず、
日本に戻り、仕事を続けることになったのですが、
イケイケオラオラで仕事して来たツケが一気にやってきます。。。


つづく。












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