東京都墨田区吾妻橋に本社を置き、「三ツ矢サイダー」など各種飲料水を製造・販売するアサヒ飲料株式会社が2004年(平成16年)に制定。
日付は「み(3)つ(2)や(8)」(三ツ矢)と読む語呂合わせから。古くから親しまれている日本を代表する炭酸飲料の三ツ矢サイダー。その美味しさを再発見してもらうために商品をPRすることが目的。
「三ツ矢の日」「三ツ矢サイダーの日」はそれぞれ一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。三ツ矢サイダーを楽しく飲んでもらえるように、この日を中心に「三ツ矢サイダー オリジナルラベル作り」のイベントや「三ツ矢感謝祭」として試飲サービスなどが実施される。
三ツ矢サイダーの歴史について1881年(明治14年)、イギリス人の化学者ウィリアム・ゴーランドが、兵庫県多田村平野(現:川西市平野)の平野鉱泉を飲み物として「理想的な鉱泉」として認めたことで、炭酸水の製造が始まった。
1884年(明治17年)に「三ツ矢平野水」(みつやひらのすい)として販売された。平野水は、夏目漱石の『行人』『思い出す事など』にも登場し、1897年(明治30年)に宮内省から皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)の御料品として採用された。
1907年(明治40年)にサイダーフレーバーエッセンスを使用した「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売し、1909年(明治42年)に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称した。当時の価格は10銭だった。
三ツ矢シャンペンサイダー
その後、1952年(昭和27年)に人工甘味料から砂糖に切り替えて「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」に改称したが、「シャンパン」の名称はシャンパーニュ地方で生産された物以外に使用できず、1968年(昭和43年)に「シャンペン」という名前を削り、正式名称が「三ツ矢サイダー」となった。
全糖三ツ矢シャンペンサイダー
三ツ矢サイダー
当時の価格は40~45円で、子どもにも安心して飲ませられる清涼飲料水としてアピールしていた。現在では無色透明の三ツ矢サイダーだが、最初の頃は黄色っぽい色をしていた。三ツ矢サイダーは、130年以上の歴史とともに、長く愛され続けているロングセラー商品である。
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